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逃げ出したい気持ち

体調が思ったより良くない。いろんな緊張と責任が身体を襲う。逃げ出したい気持ちが睡眠という形で現れる。寝よう。とにかく眠い。
起きたらいつもの自分に戻れるだろうか。
始まったらもっと強い自分になれるだろうか。

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取材

大好きなライターTさんが、取材してくれた。
改めて読むと私の表現にあいまいな含みが多く、自分から発する言葉にまだまだ自信を持ててないのがわかる。
でもそんな今をひとまず記念に載せておこう。
それにしてもこのタイトル、自分ならつけられない。
やはり取材は人にしてもらうべきだ。

『写真の力』
写真ができること
 例えば子ども時代の幸せな写真が1枚でも残っていたらきっとその人の心に良い影響を与えるのではないかと、酒井咲帆さんは語る。
「写真1枚あれば、その中に流れる時間が蘇ってくる。そこにいない人の話で盛り上がったり、映っている風景で世代を超えた人とも共通の話題ができたりする。誰かや何かにつながったりふくらんだり、写真にはいろんな力がある。」
表現のための道具はカメラで、いわゆる撮影を仕事にもしているプロのカメラマンだが、酒井さんが創りたいのは紙に焼かれた写真ではなく、伝えたい残したいシーンそのもの。スタジオでしっかり照明を当てて撮影された家族写真も素敵だけれど、できればその家族の普段の生活の中に流れるありのままの姿も撮影してみたいと言う。そこに流れる時間がより濃密で、語られる内容が多いことに心が赴くのだろう。
子どもと大人とつなぐ
 子どもの豊かな感受性を引き出すためにどのような「不思議のタネ」をまくか。酒井さんは行事の撮影を頼まれていた保育園で、ある仕掛けをして子どもたちの反応や様子を記録し、それを園以外の人にも伝えている。
 「つちのかみさま、たびにでた。」はその記録の一部。子どもたちがいつものように園庭で遊んでいると、土でできた不思議な人形が現れる!「これなんだ?」子どもたちが話し合った結果、名づけられた「つちのかみさま」。毎日欠かさずお供え物をして仲良く遊んでいたところ、ある日突然、「つちのかみさま」がいなくなります。すると保育園に手紙が届いて…。
 そこには子どもたちのきらきらした眼差しや、大人顔負けの会話。予想外の行動や思いやりが、そのまま封じ込められている。彼女の写真活動には、カメラマンと被写体という関係ではなく、その場に自分がいてお互いに寄り添い、関わりあっていることが感じられる。
 「子ども時代を過ごさない人はいない。私自身、思い出豊かな子ども時代があるからこそ今の自分がいる。そして大人時代を生きようとしている私は、今子ども時代を生きている人たちに何ができるんだろうって考える。興味のある方向に一緒に歩いたり、何となく手を差し伸べたり。大人と子どもが交わる場がもっとあってもいいんじゃないかと思います。お互い様が生まれる場を。そして大人も子ども時代のことをもっと思い出せる場が必要なのではないかと思います。」
 子どもたちがいつかおじいちゃんおばあちゃんになって、孫に自分の写真を見せるときどんな話しをするだろう。1枚の写真からそういう場が沢山生まれてほしいと語る、酒井さん。残す・伝える・つなぐメディアとして、写真の可能性をもっと広げていきたいと話してくれた。(取材・文/田中美佳)

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albus

名前が決まった。
『albus』
アルバスと呼ぶ。
白い紙に記憶を焼き付け、アルバムに保存する。人それぞれの大切な時間や記憶を残していく。そんな思いでつけられた。もともと「albus」はアルバムの語源。ラテン語で「白」という意味を持つ。albus(アルブス)と呼ばれる花もあり、同じことを表す。そしてハリーポッターに出て来る、あの名言をたくさん残したアルバス・ダンブルドア校長の名前の由来も同じ意味を含んでいる。とにかく縁起が良い名前のようだ。
albus アルバス。
改めて読むと、男らしい気もする。でも今日始めてメールをくれたハイタイドの梶原さんが「カッコイイけど私的には少しかわいい感じもしています」と書いてくれたのがうれしかった。「かわいい」に反応する私はまだまだ女性だ。
albus アルバス。
ここ数日何度も声に出している。腑に落ちるのはお店が始まってからなのかもしれない。
この名前が決まったのも自然の流れに乗った。一昨日、アバンティーのみんみん(田中さん)が、まだ見ぬお店の取材をしてくれた。無いものを紹介しようとしている編集人も面白い。取材先でお店の企画書を見せながら、「みんみんが取材してくれるって言ったから、迷っていた名前を一つに決めてみた。」となんとなく気持ちも不十分なままそれを伝えたら、「いいやん!」という一言。そりゃ、そう言うしかないよね。(笑)
そして今日、原稿が上がり既に入稿寸前。そこに刻まれた「albus」の文字は、原稿のテキストを読み込む前からひときわ目立っている。さらに大文字か小文字か決まっていないデザインも、「アルバス写真ラボ」という企画書用に適当につけた読み方さえも、くっきりと印字されているのである。
これこそ自然の流れなんだと、これを見た瞬間に何かを悟った。
これでいいのだ。

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ラボ機がなくなった?

ラボ機が決まったはずだった。
今朝、その決定が覆された。
「あ、ラボ機、入らないんですよ〜」
そんなのアリか。
人生の内の多少なりとも大きな決断だったはずが、この一言で吹き飛ばされた。夢を見ていたんだろうか。
新たにラボ機を探す旅から始めなければならない。
引いた図面はどうするのか。
ほぼボランティアのようにつきあってくれているデザイナーさんにはかなり失礼なことをしてしまっている。合わす顔もない。
先に書いたように0に戻ろう。そして気持ちを入れ替えて白からはじめよう。
くやしー!

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ただそれだけのこと

仕事のフィールドや育ってきた環境が違うと、捉え方や視点がうまく交わらなくて思いの共有が難しいと感じるときがある。同じ方向を向いているのは確かなのになんだかすごくもどかしい。
丁寧に話すこと、時間をかけること。
それが今一番必要なのかなと思う。

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